拉致被害者の一刻も早い救出を!名古屋からも救出運動の支援の輪を広げていきましょう。
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■生島馨子さん・支援組織・調査会から官房長官への要望書・資料
以下、7月1日に河村官房長官宛の特定失踪者生島孝子さんに関する要望書です。お姉さんの生島馨子さんから手渡されました。
平成21年7月1日
内閣総理大臣 麻生 太郎殿
外 務 大 臣 中曽根弘文殿
内閣官房長官 河村 建夫殿
特定失踪者問題調査会
特定失踪者生島孝子を救う会
生島孝子姉生島馨子
生島孝子の目撃証言者呉吉男氏への聞き取り調査に関する要望書
特定失踪者生島孝子の告発は平成16年11月10日に受理されましたが、4年半過ぎた現在に至ってもその後の経過が家族には伝えられていません。政府におかれましては目撃証言者に対する聞き取り、事情聴取等を早急に行いその結果をお知らせいただきたく要望する次第です。
概要
昭和47年11月1日渋谷区笹塚にて突然失踪した生島孝子は、32年経過した平成16年、韓国人経済学者で一時期北朝鮮に在留し、後に脱出した経験のある呉吉男(オ・ギルナム)氏により、18年前言葉を交わした女性に似ているとの証言があった。呉氏は目撃当時平壌駅と高麗ホテルの間にあるアパートに居住しており、女性も同じアパートに暮らし日本語を教えていると語ったという。この女性について特定失踪者問題調査会が報道関係者の協力も得て多くの失踪者の中から生島孝子ではないかと推測し、代表荒木が同年1月ソウルを訪れ呉氏と会い、後に姉馨子も直接面会し良く似ているとの証言を得る。
その後呉氏が来日した際、当時存命であった孝子の母うらと面会したが「(うらとその女性は)そっくりである、間違いないだろう」と語っていた。しかし、孝子との再会を目標に33年生き伸びた母は力尽き、国の対応を強く望みながら面会から5か月後、満100歳を目前にして息を引き取った。
要望事項
1、目撃者呉吉男氏からの聞き取り
「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」第2条2項には「自ら徹底した調査を行い」とうたっている。生島孝子の場合目撃証言者の氏名が明らかなのであるからぜひ聞き取り調査あるいは事情聴取を行っていただきたい。とりわけ目撃者呉吉男氏は最近非常に体調が悪化していると言われる。生島孝子も行方不明になって37年過ぎ、本年は68歳になり、残りの人生はわずかである。早急な対応を望みたい。
2、政府認定要件の再検討
所謂、拉致認定の要件と言われている3項目、すなわち?北朝鮮の国家的意思が推認される、?本人の意思に反する?北朝鮮に連れて行かれた、をすべて証明することは、生島孝子を含め多くの特定失踪者については現在の法律を前提にする限り不可能に近い。法改正も含め認定基準自体の再検討をお願いしたい。その上で拉致の可能性の高いと認識される失踪者については迅速に拉致認定を行って頂きたい。生島孝子の場合も政府認定のない現在、北朝鮮で命尽きても「ただ無念の死となり」拉致の事実は永久に不明となってしまう。このような事のないことを求めたい。
3、救出の対象を政府認定者に留めないことを求める
現在、政府の特定失踪者に対する取り組み方は、非常に消極的である。被害者を取り返すための各施策を、特定失踪者にまで拡大し強力に取り組むことを求める。
以上
参考資料
呉吉男氏宅(ソウル市内)を調査会代表荒木が訪問した際のインタビューの内容(H16.1.21)
その女性に会ったのは1986(昭和61)年。当時自分は44歳で、住んでいた場所は平壌市中区城東興洞、蒼光通りに面した平壌駅前デパート横の20階建てアパートだった。自分はその12階に住んでおり、その女性もそこに住んでいたが建物の中で顔を会わせることはなかった。1つの階に6~7世帯が入っており、工作員が住んでいた。当時この女性はご主人が外国に出ていたようだ。自分と同じくらいの年格好に見えた。子供がいたかどうかは不明。
その女性はトロリーバスに乗ってきた。中庭で会い、北朝鮮人と異なった印象を受けた。憂愁を帯びたような感じ、清潔な印象。丸顔で印象は生島孝子と姉馨子の写真と似ている。身長は155センチ程度ではないか。知的で少なくとも高校位は出ていた感じ。大人しい、静かな感じの人。ツーピースの服を着ていた。
その女性の方から「ヨーロッパから来られたのしょう」と声をかけてきた。「(自分は)日本語を教えています」とも言った。
その後もう一度見かけた。人からその女性が日本語を教えていると聞いた。
蒼光通りには食堂が多い。半分外貨、半分北朝鮮ウォンでやる食堂で朝鮮総連関係者が多かった。こういうところに出入りする人間はこの女性を見た可能性がある。
(平成16年10月3日・TBS)
ナレーション(以下「N」) 2003年9月韓国ソウルで、北朝鮮を脱出したある人物のインタビューで、注目すべき発言がありました。
呉吉男氏(以下「呉」) 日本人の女性を見たことがあります。
N こう証言するのは韓国人経済学者、呉吉男博士、1985年西ドイツで大使館関係者に誘われ、北朝鮮に渡ったが1年後家族を残し脱出した人物です。
呉 その人はピョンヤンの人とは印象が違っていました。顔の様子、頬骨辺りは特に違っていました。私がこうやって挨拶すると(頭を下げ仕草を示す)その人も同じようにこうした。
N 呉博士は北朝鮮で最高の待遇を受けていたが、その女性も同じ高級アパートで生活していたと言います。
呉 その人は日本人妻ではなく、日本から拉致されたんではないかと思われます。私の住んでいた高い所には、工作員の家族が住んでいました。その女性もそこに住んでいましたから、夫は工作員ではないかと思います。ほかの人を通じて聞いてみたが「その通りだ」ということでした。
N この段階では(03年9月)(特定失踪者問題調査会で作成した写真を見てもらったが、誰であるかの特定は出来なかった。(中略)衛星写真をもとに作ったコンピューターグラフィックを指し、日本人女性目撃地点を示す。アパートはピョンヤン駅のすぐ近く、高麗ホテルの隣で20階に日本人女性は暮らしていたと言います。
(ソウルを訪れた荒木代表と呉氏が会い、失踪年代、年齢等から生島孝子が浮かび上がり、写真より家族が面会して確認してみてはということになったが、母は入院中で姉がソウルを訪れた)
呉 似ています。その人の方が(呉氏と姉が並んで立ち)少し高かったと思います。こうして(多くの写真を並べそのうち数枚を取り出し)並べてみるとこういう姿に人を見たことがあります。繋がります。
(中略)
ほぼ80%から90%間違いないです。背も容姿も北朝鮮にいる日本の女性、蒼光通りに居る女性が、映像として浮かびます。生きているなら、今もそのアパートに住んでいると思います。
N 母うらさんは報告を聞き、
うら 最初は夢中になって捜したんですよ。心配して捜したんですけど、日が経つにつれてあの子は心の優しい子だったけど、反面ものすごくしっかりした自立心の強い子だったもんですから、今もわかんないのは何処かで自立して生きているんじゃないかって、信じるようになって…来年は満100歳になるけど、どうしてこんなに生きちゃったかと思うんですけど、どこかで生きていてくれればと、それがただ一つの頼りです。よろしくお願いします。
(平成16年12月18日 フジテレビ)
N 進まぬ拉致問題の解決を促すべく、韓国から一人の人物が来日した。
呉 拉致された日本人について、人道的な立場から申し上げたい。証言できることがあれば証言したいと思います。
N 韓国出身の経済学者呉吉男氏で、ドイツ留学中の1985年、仕事があるからと北朝鮮に入ったが、1年後妻子を残し脱北した。その1年間に、石岡亨さんや生島孝子さんを目撃したという。今回2人の家族に会い知っていることを話したいという。
(生島孝子母うらと面会する)
呉 生島さんと簡単な会話を交わしたのは、18 年前の1986 年6 月~8月、2 回会いました。(中略)
初めて会ったのは「蒼光通りにあるトンフン洞アパート」前で、娘2人(呉氏の)と帰る途中でした。
N その場所を確かめるため92年に撮影されたピョンヤン市内の映像を見てもらった。(市内の映像を見ながら)ここが蒼光通りで平壌駅とここが高麗ホテル隣にある、僕たちが住んでいたトンフン洞アパートがここです。間違いなくこれです。
呉 必ずもっと長生きして、北朝鮮に居る娘さんと1日も早く抱き合って喜びの涙を流すよう祈っています。
■調査会役員の参加する講演会等の予定(一般公開の拉致問題に関するイベントのみ)
★7月5日(日)13:00「救う会いばらき守谷集会」(同会主催)
●ロックシティ守谷・センターコート(筑波エクスプレス・関東鉄道守谷駅下車徒歩7分)
●代表荒木が参加
●問い合わせ:救う会いばらき(090-1212-8084)
★7月11日(土)14:00「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会」(拉致被害者と家族の人権を考える湘南の会実行委員会主催)
●藤沢産業センター(JR藤沢駅北口より徒歩5分・藤沢郵便局隣り)
●理事三宅が参加
●問い合わせ:救う会神奈川 090(9816)2187又はsukukaikanagawa@hotmail.com
★8月22日(土)14:00「拉致問題を考える川口市民の集い」(拉致問題を考える川口の会主催)
●フレンディア(京浜東北線川口駅東口 キュポラ4F)
●代表荒木が参加
★9月26日(土)13:00「拉致問題と北朝鮮の人権を考える山陰集会」(東アジアネットワーク主催)
●大和会館(米子市東福原6-12-4 Tel 0859-34-6688)
●代表荒木が参加
●問い合わせ:長崎さん(090-7376-7803)
★10月12日(月)13時~「北朝鮮による拉致・人権問題を考える神奈川県民集会」(救う会神奈川主催)
●横浜情報文化センター 情文ホール(みなとみらい線「日本大通り駅」情文センター口 0分 JR・地下鉄「関内駅」徒歩10分)
●副代表真鍋が参加
●問い合わせ:救う会神奈川 090(9816)2187又は
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特定失踪者問題調査会ニュース
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〒112-0004 東京都文京区後楽2-3-8 第6松屋ビル401
Tel 03-5684-5058 Fax 03-5684-5059
email: chosakai@circus.ocn.ne.jp
調査会ホームぺージ: http://www.chosa-kai.jp
戦略情報研究所ホームページ: http://www.senryaku-jouhou.jp
発行責任者 荒木和博 (送信を希望されない方、宛先の変更は
kumoha351@nifty.com 宛メールをお送り下さい)
●資金カンパのご協力をよろしくお願いします。
郵便振替口座 00160-9-583587 口座名義:特定失踪者問題調査会
銀行口座 三菱東京UFJ銀行 鷹の台出張所 普通 3810752
口座名義:特定失踪者問題調査会 専務理事 真鍋貞樹
(銀行口座をご利用で領収書のご入用な場合はメールないしFAXにてご連絡願います)
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以下、7月1日に河村官房長官宛の特定失踪者生島孝子さんに関する要望書です。お姉さんの生島馨子さんから手渡されました。
平成21年7月1日
内閣総理大臣 麻生 太郎殿
外 務 大 臣 中曽根弘文殿
内閣官房長官 河村 建夫殿
特定失踪者問題調査会
特定失踪者生島孝子を救う会
生島孝子姉生島馨子
生島孝子の目撃証言者呉吉男氏への聞き取り調査に関する要望書
特定失踪者生島孝子の告発は平成16年11月10日に受理されましたが、4年半過ぎた現在に至ってもその後の経過が家族には伝えられていません。政府におかれましては目撃証言者に対する聞き取り、事情聴取等を早急に行いその結果をお知らせいただきたく要望する次第です。
概要
昭和47年11月1日渋谷区笹塚にて突然失踪した生島孝子は、32年経過した平成16年、韓国人経済学者で一時期北朝鮮に在留し、後に脱出した経験のある呉吉男(オ・ギルナム)氏により、18年前言葉を交わした女性に似ているとの証言があった。呉氏は目撃当時平壌駅と高麗ホテルの間にあるアパートに居住しており、女性も同じアパートに暮らし日本語を教えていると語ったという。この女性について特定失踪者問題調査会が報道関係者の協力も得て多くの失踪者の中から生島孝子ではないかと推測し、代表荒木が同年1月ソウルを訪れ呉氏と会い、後に姉馨子も直接面会し良く似ているとの証言を得る。
その後呉氏が来日した際、当時存命であった孝子の母うらと面会したが「(うらとその女性は)そっくりである、間違いないだろう」と語っていた。しかし、孝子との再会を目標に33年生き伸びた母は力尽き、国の対応を強く望みながら面会から5か月後、満100歳を目前にして息を引き取った。
要望事項
1、目撃者呉吉男氏からの聞き取り
「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」第2条2項には「自ら徹底した調査を行い」とうたっている。生島孝子の場合目撃証言者の氏名が明らかなのであるからぜひ聞き取り調査あるいは事情聴取を行っていただきたい。とりわけ目撃者呉吉男氏は最近非常に体調が悪化していると言われる。生島孝子も行方不明になって37年過ぎ、本年は68歳になり、残りの人生はわずかである。早急な対応を望みたい。
2、政府認定要件の再検討
所謂、拉致認定の要件と言われている3項目、すなわち?北朝鮮の国家的意思が推認される、?本人の意思に反する?北朝鮮に連れて行かれた、をすべて証明することは、生島孝子を含め多くの特定失踪者については現在の法律を前提にする限り不可能に近い。法改正も含め認定基準自体の再検討をお願いしたい。その上で拉致の可能性の高いと認識される失踪者については迅速に拉致認定を行って頂きたい。生島孝子の場合も政府認定のない現在、北朝鮮で命尽きても「ただ無念の死となり」拉致の事実は永久に不明となってしまう。このような事のないことを求めたい。
3、救出の対象を政府認定者に留めないことを求める
現在、政府の特定失踪者に対する取り組み方は、非常に消極的である。被害者を取り返すための各施策を、特定失踪者にまで拡大し強力に取り組むことを求める。
以上
参考資料
呉吉男氏宅(ソウル市内)を調査会代表荒木が訪問した際のインタビューの内容(H16.1.21)
その女性に会ったのは1986(昭和61)年。当時自分は44歳で、住んでいた場所は平壌市中区城東興洞、蒼光通りに面した平壌駅前デパート横の20階建てアパートだった。自分はその12階に住んでおり、その女性もそこに住んでいたが建物の中で顔を会わせることはなかった。1つの階に6~7世帯が入っており、工作員が住んでいた。当時この女性はご主人が外国に出ていたようだ。自分と同じくらいの年格好に見えた。子供がいたかどうかは不明。
その女性はトロリーバスに乗ってきた。中庭で会い、北朝鮮人と異なった印象を受けた。憂愁を帯びたような感じ、清潔な印象。丸顔で印象は生島孝子と姉馨子の写真と似ている。身長は155センチ程度ではないか。知的で少なくとも高校位は出ていた感じ。大人しい、静かな感じの人。ツーピースの服を着ていた。
その女性の方から「ヨーロッパから来られたのしょう」と声をかけてきた。「(自分は)日本語を教えています」とも言った。
その後もう一度見かけた。人からその女性が日本語を教えていると聞いた。
蒼光通りには食堂が多い。半分外貨、半分北朝鮮ウォンでやる食堂で朝鮮総連関係者が多かった。こういうところに出入りする人間はこの女性を見た可能性がある。
(平成16年10月3日・TBS)
ナレーション(以下「N」) 2003年9月韓国ソウルで、北朝鮮を脱出したある人物のインタビューで、注目すべき発言がありました。
呉吉男氏(以下「呉」) 日本人の女性を見たことがあります。
N こう証言するのは韓国人経済学者、呉吉男博士、1985年西ドイツで大使館関係者に誘われ、北朝鮮に渡ったが1年後家族を残し脱出した人物です。
呉 その人はピョンヤンの人とは印象が違っていました。顔の様子、頬骨辺りは特に違っていました。私がこうやって挨拶すると(頭を下げ仕草を示す)その人も同じようにこうした。
N 呉博士は北朝鮮で最高の待遇を受けていたが、その女性も同じ高級アパートで生活していたと言います。
呉 その人は日本人妻ではなく、日本から拉致されたんではないかと思われます。私の住んでいた高い所には、工作員の家族が住んでいました。その女性もそこに住んでいましたから、夫は工作員ではないかと思います。ほかの人を通じて聞いてみたが「その通りだ」ということでした。
N この段階では(03年9月)(特定失踪者問題調査会で作成した写真を見てもらったが、誰であるかの特定は出来なかった。(中略)衛星写真をもとに作ったコンピューターグラフィックを指し、日本人女性目撃地点を示す。アパートはピョンヤン駅のすぐ近く、高麗ホテルの隣で20階に日本人女性は暮らしていたと言います。
(ソウルを訪れた荒木代表と呉氏が会い、失踪年代、年齢等から生島孝子が浮かび上がり、写真より家族が面会して確認してみてはということになったが、母は入院中で姉がソウルを訪れた)
呉 似ています。その人の方が(呉氏と姉が並んで立ち)少し高かったと思います。こうして(多くの写真を並べそのうち数枚を取り出し)並べてみるとこういう姿に人を見たことがあります。繋がります。
(中略)
ほぼ80%から90%間違いないです。背も容姿も北朝鮮にいる日本の女性、蒼光通りに居る女性が、映像として浮かびます。生きているなら、今もそのアパートに住んでいると思います。
N 母うらさんは報告を聞き、
うら 最初は夢中になって捜したんですよ。心配して捜したんですけど、日が経つにつれてあの子は心の優しい子だったけど、反面ものすごくしっかりした自立心の強い子だったもんですから、今もわかんないのは何処かで自立して生きているんじゃないかって、信じるようになって…来年は満100歳になるけど、どうしてこんなに生きちゃったかと思うんですけど、どこかで生きていてくれればと、それがただ一つの頼りです。よろしくお願いします。
(平成16年12月18日 フジテレビ)
N 進まぬ拉致問題の解決を促すべく、韓国から一人の人物が来日した。
呉 拉致された日本人について、人道的な立場から申し上げたい。証言できることがあれば証言したいと思います。
N 韓国出身の経済学者呉吉男氏で、ドイツ留学中の1985年、仕事があるからと北朝鮮に入ったが、1年後妻子を残し脱北した。その1年間に、石岡亨さんや生島孝子さんを目撃したという。今回2人の家族に会い知っていることを話したいという。
(生島孝子母うらと面会する)
呉 生島さんと簡単な会話を交わしたのは、18 年前の1986 年6 月~8月、2 回会いました。(中略)
初めて会ったのは「蒼光通りにあるトンフン洞アパート」前で、娘2人(呉氏の)と帰る途中でした。
N その場所を確かめるため92年に撮影されたピョンヤン市内の映像を見てもらった。(市内の映像を見ながら)ここが蒼光通りで平壌駅とここが高麗ホテル隣にある、僕たちが住んでいたトンフン洞アパートがここです。間違いなくこれです。
呉 必ずもっと長生きして、北朝鮮に居る娘さんと1日も早く抱き合って喜びの涙を流すよう祈っています。
■調査会役員の参加する講演会等の予定(一般公開の拉致問題に関するイベントのみ)
★7月5日(日)13:00「救う会いばらき守谷集会」(同会主催)
●ロックシティ守谷・センターコート(筑波エクスプレス・関東鉄道守谷駅下車徒歩7分)
●代表荒木が参加
●問い合わせ:救う会いばらき(090-1212-8084)
★7月11日(土)14:00「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会」(拉致被害者と家族の人権を考える湘南の会実行委員会主催)
●藤沢産業センター(JR藤沢駅北口より徒歩5分・藤沢郵便局隣り)
●理事三宅が参加
●問い合わせ:救う会神奈川 090(9816)2187又はsukukaikanagawa@hotmail.com
★8月22日(土)14:00「拉致問題を考える川口市民の集い」(拉致問題を考える川口の会主催)
●フレンディア(京浜東北線川口駅東口 キュポラ4F)
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●大和会館(米子市東福原6-12-4 Tel 0859-34-6688)
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kumoha351@nifty.com 宛メールをお送り下さい)
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